2020年10月
どうも、メックサンダーです。
私は最近、「魔進戦隊キラメイジャー」という、日曜日の朝に放送している戦隊ヒーローのテレビ番組を観ています。
普段から楽しく観ているのですが、今日の放送内容が興味深いものだったので、自分の好きな漫画の話なんかを交えながら、ちょっと文章にしてみます。
ゆっくり読んで6分くらいの文章です。
(※2020年10月4日放送の番組内容、また、漫画「NARUTO‐ナルト‐」「SLAM DUNK」「ストッパー毒島」のネタバレを含みます。ご了承ください。)
限界を超えないヒーロー
今日のキラメイジャー、何が興味深かったかと言うと、「限界は超えないためにある」という考え方がお話の重要なテーマとされたことです。
ヒーローにとっての「限界」とは
ヒーローにとって、「限界」というものは、特によく語られやすいものです。
例えば、「限界」を「時間」と結びつけるなら、ウルトラマンの「カラータイマー(3分しか地球にいられない)」や、エヴァンゲリオンの電力消費による「活動限界」があります。
また、「限界」を「身体的能力」と結びつけるなら、ドラゴンボールの「界王拳」や、鬼滅の刃の「全集中の呼吸」など、一時的に「限界」を超えた力を得るかわり、身体には負担がかかる技などがあります。
ヒーローは、時に、その「限界」を超えるという「奇跡」を見せ、視聴者や読者を魅了します。
つまり、「限界」とは、ヒーローとその物語を彩る、欠かせない「要素」なのです。
限界を超えた姿は美しい?
「限界を超えた姿は美しい?」と疑問形にしましたが、私は「美しい」と感じます。そこに、強い気持ちを感じるからです。
大切な人を守るために。
自分自身の信念のために。
ヒーローは、その強い気持ちを貫くために、限界を超え、犠牲(多くの場合は自らの損傷や崩壊)を払って、目標を達成しようとします。
そんなヒーローの姿を私は美しいと思うし、反対に言えば、それができるからこそヒーロー、という見方さえしています。
限界は超えないためにある
そんな私に、キラメイジャーというヒーローは「限界は超えないためにある」という価値観をぶつけてきました。
強大な力を持つ敵を前に、敗北寸前のキラメイジャー。
主人公以外のメンバーは、「たくさんの人たちの命を救えるなら…」と、敵に打ち勝つ強大な力を得るため、限界を超える方法を実行しようとします。
しかし主人公は「俺は嫌だ!」と否定します。
ギャグとかではなしに、こんなヒーローが今までいたでしょうか。
限界を超えた先にある、自分たちの犠牲をはっきりと否定したのです。
「ここにいるみんなが未来を捨てるなんて!」
「俺は地球の平和も、みんなの未来も、どっちも守りたいんだ!」
ちょっと聞いたことがないセリフだったかもしれません。
結果として、単純に限界を超えるのではなく、時間制限付きのパワーアップを仲間全員で分担するという方法を閃き、窮地を乗り切ることに成功します。
この結果に至る前には、限界を超えた力を得たことで崩壊する敵側の描写もあり、作品全体が「限界」を「超えてはいけないもの」として描いています。
限界を超えたヒーロー
さて、私の好きな漫画作品の中で、ここまで「限界を超える」こと、そしてその後についてちゃんと描写しているものはあったかな…?と少し思い返してみました。
限界を超える瞬間と、その後
例1:「NARUTO‐ナルト‐」のガイ先生
(画像引用元:ジャンプ・コミックス NARUTO-ナルト- 巻ノ七十 72ページ)
「八門遁甲の陣(はちもんとんこうのじん)」という自分のリミッターを外す術を使い戦うガイ先生。
そして…
(画像引用元:ジャンプ・コミックス NARUTO-ナルト- 巻ノ七十 79ページ)
文字通り、燃え尽きて、サラサラと灰のようなものになってしまう…。
とても強烈な描写ですが、全ては自己を犠牲にしてでも次の世代を守りたいという、信念からの行動でした。
例2:「SLAM DUNK」の桜木花道。
(画像引用元:ジャンプ・コミックス デラックス SLAM DUNK完全版 #24 92ページ)
バスケットボールの試合中に、選手生命にかかわる怪我をするが、出場を続行する桜木花道。
「オヤジ(安西監督)の栄光時代はいつだよ…全日本のときか?」
「オレは今なんだよ!」
そして…
(画像引用元:ジャンプ・コミックス デラックス SLAM DUNK完全版 #24 246ページ(2点とも))
バスケットボールからの離脱。
リハビリに励んでいる(と思われる)桜木花道。
選手として復帰できるかどうか、までは描かれていません。
限界を超えた姿はやっぱり美しい
どちらの例も壮絶な力を発揮した後、大きなものを失います。
そして、不可逆です。元に戻りません。
このことは、すごいドラマ性を演出していて、物語の軸にすらなっています。
犠牲を払って、何かを成し遂げようとすることは、作品において大きな見せ場であり、そしてこの姿を、私は美しい(かっこいい)と思うわけです。
限界の捉え方、その先へ
改めて、「限界は超えないためにある」という言葉について考えてみようと思います。
この言葉は、ややもすれば、「全力を尽くさない」「手を抜く」といったイメージがありますが、もちろんそういう意味ではありません。
全力でやった上で、その限界を捉え、その先を考えよう、ということです。
至極まっとうで新しいヒーロー像
犠牲を払うヒーロー、それだけではなく、犠牲についてよく考えるヒーロー。
番組が伝えたかったのは、そういう当たり前だけど、ヒーローを美しく描く上で、どこか置き去りにされてきた、普通の考え方なのではないかと思います。
「失うものよりも得るものが大きい」という、犠牲の上に成り立つ考えを一度見直し、「得るものよりも失うものが大きい」かもしれないと、犠牲についても目を配ってほしい、という番組からのメッセージだと思いました。
(画像引用元:ヤンマガKC ストッパー毒島 7 134ページ)
この文章を書いていて、思い出したシーンです。
利き手を痛めたピッチャー(主人公・毒島大広)に、
「根性は認めるけど」
「交代した方がチームのため」と声を掛けるチームメイト。
当たり前ですよね。
この感覚です。
潜在的な影響
最後になりますが、これだけ考えても、私は、限界を超えるヒーローがやっぱりかっこいいと思います。
これはもう小さい頃から養われた私の感覚です。
じゃあ、限界をみんなであわせて100秒だけ超えたキラメイジャーはかっこよくないの?
そうは思いません。
むしろ、これからのヒーローは、今日のキラメイジャーのようであってほしいと思います。
これまでは、自己犠牲や根性論だけで描かれるヒーローが多すぎたかもしれません。
そして今、私が証明しているように、幼い頃に触れた物語は、その後の人生に潜在的に影響します。
限界についてよく考え、悩み、結果を出したキラメイジャーの主人公こそ、これからのヒーロー像であってほしいと私は願います。
ありがとうございました!