めっく庵 メックサンダーのブログ

イラスト、ゲーム、漫画、工作など、メックサンダーが好きなことを垂れ流すブログです。

映画感想「JOKER」

 

どうも、メックサンダーです。

めったに映画の感想なんて書かない(書けない)のですけれど!

 

先日描いたファンアートに引っ張られ、映画「JOKER」を観ましたので、今日はその感想をダラダラ~っと書きます。(ゆっくり読んで5分くらいの量です。)

映画の内容について詳細なこと・具体的なことは書いていませんが、全体の構成に関わることは書いています。まっさらな状態で映画を楽しみたい方は、お読みにならない方がいいかも…すいやせん!

 

 

映画の基本情報

(↑画像は「楽天アフィリエイト」へのリンク)

 

タイトル…JOKER(ジョーカー)

公開…2019年10月

制作国…アメリカ合衆国

監督…トッド・フィリップス

主演…ホアキン・フェニックス

※R15指定

 

ジョーカーについて

実は私、ぜんぜん詳しくありません。

私が子どもの頃持っていた「ジョーカー」のイメージはシンプル。

ずる賢くて人を小馬鹿にしたようなひょうきんな態度で、いつもバットマンを苦しめる敵!

 

そんなイメージは、おそらく、幼い頃に見たバットマンのテレビアニメ(輸入モノ?あんまり覚えていない…)で植え付けられたものです。

当時は、バットマンファミコンソフトなんてものもありました。

 

しかし、もう少し年齢を重ねてからは、いくつかバットマンの映画を見たせいもあって、そのイメージは少しずつ変化していき、私の中で、ジョーカーは知的で、内向的で、非常に複雑な憎悪を心の内に抱えた真の強敵、という印象になっていきました。

 

最終的に、ジョーカーに対しては、「絶対的な悪」という肩書きが似合う、カリスマ性まで備えている、言ってしまえば「ワルかっこいい」キャラクターという印象を抱いていました。

(例えば、私の大好きな漫画作品「ジョジョの奇妙な冒険」でいうところの「ディオ」のような存在でした。)

 

それが、この映画を見る前のジョーカーのイメージだったのです。

 

 

 

 

 

作品の位置づけ

作品について、前置きです。

どうもこの映画は、他のバットマン関連作品とは切り離された世界観になっているそうです。

つまりこの映画は、これまでとは違う、独立した設定でジョーカーを描いた作品である、ということらしいのです。

蛇足かもしれませんが、そこのところをご了承ください。

 

絶対的な悪?

さて、私は先ほどジョーカーのことを「絶対的な悪」と表現しましたが、ここで大好きな「ジョジョの奇妙な冒険」から、とあるセリフを引用します(笑)

 

 

『おれぁ 生まれてからずっと暗黒街で生き いろんな悪党を見て来た

だから悪い人間と いい人間の区別は「におい」で分かる!』

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『こいつはくせえッー!ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーッ!!』

『こんな悪(ワル)には出会ったことがねえほどなァーーーッ

環境で悪人になっただと?ちがうねッ!!

『こいつは生まれついての悪(ワル)だッ!』

絵と文の引用元…「集英社文庫(コミック版)ジョジョの奇妙な冒険1」237~238ページ 

 

 

(ちょっと汚い言葉ですみませんでした。)

これは、人物鑑定に長けるスピードワゴンという青年が、主人公ジョジョと対立するディオという人物に向かって放ったセリフです。

 

つまり、スピードワゴン曰く、ディオは生まれついてのワルであり、育った環境のせいなどではなく、最初から悪に染まっている→「絶対的な悪」だ、ということです。

 

じゃあ、ジョーカーは?

私の持っていたイメージでは、ジョーカーもディオと同じ「絶対的な悪」でしたが…。

 

 

 

 

 

ジョーカーは悪じゃあなかった…

↑これが、映画「JOKER」を観た私の率直な感想です。

 

(それは、そうなっても仕方ないわなぁ…)という気持ちが半分以上です。

 

思うに、彼は「悪」というより、社会構造が生み出した完全な「犠牲者」であって…。

弱者を踏みつける社会に対する、「劣等感」と「怒り」の象徴でした。

 

そもそも「悪」ってなんじゃろな?

言葉にするのはなかなか難しいのですけれど、自分のためだけに、必要以上に、他の存在をおびやかすことかな…と思います、なんとなく。

 

少なくとも、この映画を見る限り、ジョーカーはその「悪」ではありませんでした。

むしろ、心根はまじめで、優しい男でした。

 

抑圧からの解放

この映画を観ていると、

(もう勘弁してよ…)

と悲惨な気持ちになります。

 

この現実から逃げ出したい、でも逃げられない。

いわれのない、どうしようもない抑圧。

 

次々と訪れるそんなシーン、それらを経るごとに、私はジョーカーに感情移入してしまいました。 

 

しかし彼は、とある出来事をきっかけに、その抑圧から段階的に解放されていくことになります。

 

そしていつしか、自分を縛っていたものからも完全に解放されます。

(同時に、私もその抑圧から解放されます。)

 

それが、本当の意味での「ジョーカー」の誕生。

 

解き放たれた彼の、全身からエネルギーがほとばしるような動き。

それまでの動きとは全く違います。

 

かっこいい。

動きが小気味良いのです。

この映画は、これを観るための映画だったのです、きっと。

(役者さんって本当にすごいなと思いました。)

 

 

 

 

 

おわりに

R15指定ということなのですが、過激な暴力シーンが多く、その表現以上に、作品の展開としてその暴力を肯定するかのような印象を与えかねないため、もう少し上の年齢指定にしてもいいのではないかと思いました。(15歳にはこれは見せたくないです…)

 

別の言い方をすると、「暴力」という手段を「心地よいもの」と誤解してしまいかねない構成になっています。

 

この作品のジョーカーは、暴力だけで語られる存在ではなかったはずなので、そういうふうに受け取られてしまうのは、作品としても本意ではないだろうな、と思います。

 

弱っていく人の心の内面を扱う内容でもあり、その描き方にも賛否があったそうです。

 

また、詳しくは書けませんが、この映画の最後には、観た人によって大きく話の捉え方が変わるシーンが用意されています。

 

そんなシーンも含めて「ジョーカー」の映画なんだなあ、という感じでした。

 

 

…と、感想は以上ですが、私にはとても興味深い作品でした。

これから他の方の考察や批評などもゆっくり読んでみたいと思っています。

 

ジョーカーの印象、また変わったよね~!

 

 

読んでいただき、ありがとうございました!