めっく庵 メックサンダーのブログ

イラスト、ゲーム、漫画、工作など、メックサンダーが好きなことを垂れ流すブログです。

「出来事に関わる」ということ

 

どうもメックサンダーです。

 

今日は完全に「自分語り」です!

後で読んで自分で恥ずかしくなるヤツです!

しかし怖れずにゴー!

 

 

自分じゃない誰かの出来事

毎日、自分の知らない、色んなところで、色んな出来事が起きています。

楽しいことだったり、悲しいことだったり、当事者にとっては何か一大事な出来事が。

 

ツイッターをやっていると、ガンガンそういうのを見かけることになります。

 

 

私が、そういった出来事を見て、知って、その結果、かなり心を揺さぶられたとします。

 

しかし、その気持ちの割に、その出来事に積極的に関わろうとしたり、行動を起こしたりすることが少ないように感じます。

 

 

なぜなのか。

 

それはなんとなく、 

「全ての心揺さぶる出来事に関われるだけの時間が、自分にあるわけがない」

と、考えているからです。

 

 

そして同時に、そんな自分に、ある種の「冷め」を感じていたりして。

どこか理屈で逃げ道を作っているような…。

 

 

 

不平等?

いつからか、

「全部に関われないなら、一部にも関わるべきではない。なぜならそれは不平等だから」

 

こういう意見を見かけるようになって、私自身、その影響を受けているような気がします。

 

確かにクレバーな意見だと思います。

 

 

具体的な例でいうと…

 

ある人がある被災地で援助活動をしました。

でも、別の場所で被害が起きた時には、余力がなくて、援助できませんでした。

この場合、不平等になるから、そもそも初めから援助活動をするべきではなかった。

 

 

とか、

 

ある有名人がネットで発言し、それに対するファンからのコメントがたくさん寄せられた。

全てのコメントに返事をすることは時間的に困難であり、また、一部のコメントにだけ返事をすることは不平等であるため、その有名人は初めからコメントには返事を一切しなかった。

 

 

という理屈になります。

 

「お前、全ての出来事に関われるのか?責任を持てるのか?」という……。

 

 

 

でも、本当は、

 

そんなこと考えずに、一部にでも関わればいいんじゃない?

 

自分の選択なんだから、好きなようにやればいいんじゃない?

 

責任の範囲は、自分が決めたらいいんじゃない?

 

と思う自分もいるんです。

 

 

①の援助活動のような話なんて特に。

少しでもやった方がいいに決まってる、と思います。

②は混乱を避けるためなら、分からなくもないけど…。

 

 

 

まあ、自分のことしか興味ない、他人の出来事には全く関わらない、完全シャットアウト!なんて人は、まずほとんどいないでしょう。

どんな人でも、少なからず人を巻き込み、人に巻き込まれながら暮らしているはずです。

 

だから、人は、どこかのタイミングで自分自身が決めた範囲の中でしか責任はとれないし、「全部に関われないなら、一部にも関わるべきではない。」という考え方を徹底することは、とてもできないように思います。

徹底したら、何もできなくなっちゃう。

 

 

 

ほどほどに。

そのバランスを自分で決めて、やっていくしかない。

 

 

 

 

はあ。

今日はそんなことを考えました。

うーん…

 

 

自分語り。

読んでいただきありがとうございました!